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世界観とは

Photo_5 はじめに
 世界観に関しては色々な説明の仕方があるのですが、ここでは私なりに、世界観の「ストーリー性」に焦点を当てて説明をしてみます。(写真:バラ©千葉光雄)

世界観は「メガネ」
 世界観と言うと、何か理論的で頭の世界という印象を持つかも知れません。ところが実際は、私たち誰もがすでに持っているものなのです。世界観とは、世界を見る枠組みのことです。私たちは、意識してはいませんが、この枠組みを通して身の回りの出来事を見ています。ですからそれはちょうど、かけていることを意識していないメガネのようです。

色々ある世界観
 この世界観(枠組み、メガネ)には、色々な種類があります。例えば、「進化論的な唯物論」という世界観(メガネ)を持てば、人も、動物も、偶然進化のプロセスを通って来たモノとして見ることになります。真善美も人間社会が生み出した相対的なものとなるでしょう。「輪廻思想」というメガネを強く持つ人は、友人の暗い性格は、前世の影響だと考えます。このように、ひとはだれでも、ある世界観(メガネ)を持っていて、それを通して現実を見、判断しているのです。これは、いわゆる思想、宗教で、進化論やキリスト教だけでなく、ニューエイジ、共産主義、仏教、イスラム教も、それぞれがひとつの世界観です。無宗教と自認する日本人も、日本人なりの世界観(メガネ)を持って生活しています。

世界観はなん層にもなるストーリー
 この世界観(メガネ)を形作るのは、普通、「過去・現在・未来」のあるストーリーです。例えば、ある進化論では、宇宙はビッグバンで始まり、現在の宇宙があり、拡散し続けて、ついには死んで行きます。古典的な共産主義は、階級闘争の歴史の最終段階に、労働者階級の勝利がある、と歴史を見ました。キリスト教もストーリー性のあるメガネです。アメリカの旧約学者レイ・ヴァン・リーウエンによると、聖書は「一貫した世界観を持っており...創造から、まだ実現していない再創造まで、という現実のストーリーを語っている」と言います。つまり聖書の世界観というのは、天地創造から天地再創造に至る「ストーリー」だというのです。クリスチャンは、このストーリーが単なるお話や解釈でなく現実であると信じています。
 上記で述べたストーリーは、宇宙のストーリーでした。しかし、ストーリーのレベルはそれだけではありません。実際私たちは何層にもなるストーリーの中で生きています。生まれてから今に至るまでの自分の人生、というのが一番身近なストーリーで、その上に家族のストーリー、自国のストーリー、それに世界の歴史をどう見るかという、世界史のレベルもあります。その一番上にあるのが、上記で見た宇宙のストーリーです。

生活に影響を与えるストーリー

 これらの何層にもなるストーリーは互いに深く関わって影響しあい、私たちの価値観、感性、霊性を形作り、日々の生活に影響を与えています。
 例えば、自分の生い立ちを考えてみましょう。親に愛され、受験に失敗せず、今までいつも順調だった人が、何かのチャンスに出会った時、かなり積極的にそれを掴んでいくかも知れません。ところが別の人が同じチャンスに出会っても、それを掴むとは限りません。いつも失敗し、自己像が低い人は、恐れがあるので身を引く可能性があります。同じビジネスチャンスを見て、成功の機会と見るか、避けるべきリスクと見るかは、性格だけでなく、その人の生い立ちが影響して来ます。生い立ち(ストーリー)が、現実の世界をどう見るかを左右するメガネ、「世界観」の働きをしています。
 自分史だけではありません。家族の歴史、郷土の歴史も世界観を形作ります。そして国の歴史もそうです。大平洋戦争中「日本国は神国であり、アジアを西洋から解放する使命がある。だから、中国、ロシアに対し勝利したのだ。これからも神風がふいて勝利する」という日本史観(ストーリー)があると、アメリカの国力がはるかに日本より勝っているにも関わらず、多くの若者が使命感を持ち、勝利を信じて命を捨てて行きました。ストーリーが如何に人の心を動かすものかが分かると思います。だからこそ教科書の歴史がどう書かれているかが、大切なのです。
 世界史も大切です。私たちの多くは欧米に対して何かしらの劣等感を持ち、自分達の文化的伝統を低く見る傾向があるかも知れません。その理由は、単に欧米が軍事的、経済的に世界を支配して来たからというだけではなく、欧米が持つ世界史観の影響を受けているという面があることを否定できないと思います(参考資料の石原 保徳 著『世界史への道』参照)。


変化するストーリー

ストーリーの変化の困難さ

 このようなストーリーが変化することを、パラダイムシフトとか改心と言われています。ですがこの変化は簡単に起るものではありません。
 何故かと言いますと、第一に、私たちのストーリー(世界観)は「メガネ」のようなもので、それを通して現実を見ていますが、普通は意識されてないので、直そうとさえ思えないのです。第二に、私たちは、何を見ても自分のストーリーに従うように無意識のうちに解釈するので、自分のストーリーが変わるどころか、それが益々強くなるのです。第三。普通は共同体(家族、教会、日本国)の中でその解釈がなされます。共同体のストーリー(世界観)は共同体を支える特徴であるが故に、共同体が個人の変化に抵抗します。第四には、私たちのストーリーは、生まれ育った共同体の文化の影響を強く受け、私たちの信頼と献身に深く関わっているので変化が難しいのです。

ストーリー変化の可能性
 しかし、パラダイムシフトや改心(ストーリーの変化)というものは、確かに可能です。これを読んでおられる方も、多分唯物論なり他宗教からキリスト教に改心された方々でしょう。アメリカ人宣教師で、中国本土の大学教育に関わっているサム・ローエン博士は、世界観とその変化に関して造詣が深い方ですが、博士によると、世界観(ストーリー)の変換は、多くの場合三つの段階を経て起こるそうです。第一は、今まで自分を支えてきた世界観が自分を支えられなくなる段階です。例えば、自分の共同体(家族、宗教等)への信頼を崩すような出来事、また、今までの自分の理解では捉えきれない挫折体験をした時、私たちは自分や共同体の考え方や信仰に疑問持ち、批判的になります。第二段階として、他の思想やあり方にオープンになり、それを一時的に取り入れて試します。第三に、その新しい見方の方が、自分と回りの世界、または聖書をよりよく説明してくれる時、その違ったあり方を自分のものとして受け入れます。そのプロセスの中で新しい世界観が無意識のうちに形成されていくのです。皆さんも多かれ少なかれ、このプロセスを通られたのではないでしょうか。

恵みにより変化するストーリー
 さて私は、「神は恵みにより御霊によって、私たちが持っている様々なレベルのストーリーを、神御自身のストーリーに近付けて下さる」と考えています。(私は神御自身のストーリーとは現実の歴史であると信じています。)
 例えばある人が、クリスマスに親からもらったプレゼント等を思い出し、「親に愛された幸いな子供時代だった」と思っているとします。ですが、「よい人間関係が築けない」と悩んでいるので、カウンセリングの本を読んだ結果、「今まで自分は親に愛されて育ったと思っていたが、実は共稼ぎの家庭で寂しかった」という自分に気付いてきます。すると、プレゼントは、時間を割けない親が、せめて高価なモノを、と思って買って来たものと見えてきます。親の愛を求めて良い子でいたし、親の愛を埋め合わせるべく勉強に打ち込んだ自分が見えてきます。自分の実績で自分を支えてきて、今一つ他者を信じられず、自分の正直な姿に直面できないので、結果的に自然な人間関係が築けなかったのだと分かって来ます。
 変化したストーリー(共稼ぎの家庭で寂しく育った)で過去の出来事(プレゼント)を見直すと、同じ過去の出来事が違った意味あい(解釈)を持ってきます。そして現在の自分を見る見方が変わり、ついには生活自体にも少しづつ変化が訪れるのです。

クリスチャンの場合
 クリスチャンの場合、ここで終わりではありません。時間がかかると思いますが、そのように寂しかったあの子供時代にも、神がおられて自分を愛して下さっていた。今の自分を無条件で実の親以上に愛して下さっている。今後も決して私を見捨てることはない、と、自分史が、神の視点で変化していきます。すると、過去の傷が少しづつ癒され、自分の生き方が変化してくるのです。私たちの個人史が、語り直され、神のストーリーに近づいて、人が人として回復していく。これは、救いがもたらす恵みだと私は思います。
 それは、個人史だけではありません。家族史にも言えることですし、日本史にも言えることです。日本人の持っている良いものが、歴史を通して神から与えられた賜物であると見えてくると、いたずらに誇ったり、あるいは自己卑下するのではなく、「では、日本人としてどのようにアジアに、また世界に貢献していったらよいか」という方向が出てきます。
 個人史から宇宙史まで、神の恵みにより、ご聖霊によって、多くの場合人を通して、ストーリーが語り直されて行く。そのプロセスで人が癒され、回復されて行くのです。聖書を専門に語る教師だけでなく、クリスチャンのカウンセラー、歴史家、政治家、思想家、活動家、等、ありとあらゆる人材が多く世に出て、癒しと回復をもたらして行って欲しいと願います。

二元論からキリスト教世界観へ

クリスチャンの二つの違ったストーリー
 さてここでキリスト教の中にも幾つかの異なるストーリーがあることに注目してみましょう。代表的なのは、二元論的なストーリーと、一元論的なストーリーです。
 二元論的なストーリーとは、新プラトン主義の影響を強く受けたストーリーです。ギリシャの思想によると、霊魂だけが善であり、清く、永遠です。物質は、悪であるか、低級です。救いというは、霊魂が肉体や目に見える世界から離れ、上なる神と一つとなることです。この思想の影響を強く受けた西洋のキリスト教は、聖書をそのストーリーに近付けた形で解釈してきました。肉体や目に見える世界は一段低いもので、ついには消滅する。そして救われた霊魂だけが天に昇り、神と一つとなるのが救い、と考えます。
 一元論的なストーリーでは、「神は目に見える世界を良いものとして造り、人間を霊肉一体のものとして最初から造った」という点から出発します。良き世界は罪によって歪められたけれども、神は目に見える世界を見捨てたり、消滅させたりせず、かえって回復し、ついには完成させる、と考えます。このストーリーでは、霊と物質を基本的には二分せず、いわんや物質を低級とは見ません。霊も物質も罪の影響で歪み、霊も物質も恵みの故に回復し、救われると見ます。

生活に与える影響
 この二つのストーリーの違いは、日々の生活にも影響を与えます。 
 教会に加わって何年か経つうちに、私は、「世界の様々な問題の原因は罪なのだから、一人でも多くの人を救いに導いていくことこそが真の解決だ。しかも、目に見えるもの全ては罪の影響を受けていて、最終的には滅びるのだから、救霊だけが永遠の価値がある」と考えるようになっていました。この考えは、二元論的ストーリーに基づいたものです。そしてこの考えを押し進めますと、この地上でなす唯一の価値あることは伝道であり、他の事はその手段となります。政治に正義を求めること、ビジネスを通して社会に仕えようとすること、よい「物作り」を目指すこと、心を込めて家事育児に向うこと、環境を守ろうとすること、よい音楽や絵画を求めていくこと、その他どんなよいことでも、それ自体では、永遠の意味も価値もない。救霊につながる「証し」になったときだけ、付属的な価値がある、ということになります。そうすると、クリスチャンは、真剣に、心から、確信と喜びをもって日常の営みができなくなってしまいます。伝道と教会生活だけはしっかりやるけれども、政治やビジネス等の残りの全ての生活は、聖書からの指針がないため、どうしても周りに流されていくのです。
 しかし、一元論的なストーリーを持つと、今この生活の現場で、神に従いどう生きるのか、が最も大切な点となってきます。文化と社会の変革に使命感を持って向かえます。皿洗いから国際政治まで、主にある労苦は、神のみ前で価値のある、無駄でないものとなってきます。
 この一元論的なストーリーは、より聖書に近い、キリスト教的なものと考えられているので、一般に「キリスト教世界観」と呼ばれています。キリスト教世界観に明確に立ったキリスト者が多く世に出て行く時、私たちは益々、地の塩、世の光として、社会に貢献できる存在となっていくでしょう。

聖書解釈に与える影響
 異なる世界観(ストーリー)は、同じ現実(聖書)を見ても、異なる解釈を生み出します。有名なヨハネ14章2節3節を考えてみましょう。そこには、「私の父の家には住まいがたくさんあります。...私が行ってあなた方に場所を備えたら、また来て、あなた方を私のもとに迎えます。」とあります。この節を二人の違った世界観(ストーリー)を持つクリスチャンが読む時、違った解釈が生じます。
 例えば、二元論的ストーリー(世界観)を持っているクリスチャンが解釈すると、イエス様が来る時というのは、自分が死ぬ時であり、「父の家」は天上となります。しかし、一元論的ストーリーを持つクリスチャンにとっては、イエス様が「来る」のは再臨の時となり、「父の家」は地上に降りてきた新しいエルサレムとなります(黙示録21、22章)。これは、同じ事実(聖書)を見ても、メガネ(世界観)によって解釈が違ってくる一つの例です。
 それ以外にも、幾つか例があげられます。ノアの箱船は、二元論的なメガネにとっては「堕落した世界が消滅して私たちの魂が天国へ行く」という救いの原型になり、一元論的なメガネにとっては「神は被造世界を消滅させずに保ち、新たにする」という救いの原型になります。
 新しいエルサレムは、天国の象徴的表現なのか、それとも新しくされた地上の描写なのか。「狼と子羊は共に草をはみ」とは、千年王国だけなのか、新しくされ永遠に続く地上でもそうなのか。またそれは、天国の象徴的表現なのか、新たにされた地上を在り方をシンボリックに伝えようとしているのか、、、、。
 今まで私たち福音派の中には「自分には前提はない。正しい解釈の方法を正しく使えば聖書の真理に客観的に到達できる」という現代主義的前提を持って来た流れがありました。確かにその科学的アプローチによって以前よりもはるかによく聖書を知れるようになりました。またストーリーが違うからと言って三位一体、信仰義認と言った根本教理が違って来るわけではありません。しかし、もし上記の例のように読者のストーリー(世界観、メガネ)が、聖書解釈に影響を与えるとすれば、私たちはストーリーの違いを、今まで以上に意識しなければならなくなるでしょう。
 今、世界で、キリスト教世界観にたった聖書神学者、組織神学者が次第に増えてきていて、この分野でも様々な成果が出てきていますので(参考資料のページ参照のこと)、今後が楽しみです。

最後に
 個人史から始まり、宇宙史まで、神の視点で語り直されて、世界観が変革していくなかで、私たちは癒され、生活全体が変化して行きます。これは神の恵みによる御霊の働きで、一生かかるプロセスです。そしてクリスチャンが互いに助け合いつつこのプロセスを歩んで行けたらと願っています。

次のページも参考にして下さい。

「聖書の語る救いを求めて(1)ギリシャ二元論の影響?」

 信仰と生活が分かれてしまう原因の一つがギリシャの二元論にあるのでは、と問題提起

「聖書の語る救いを求めて(2)旧新約聖書の教え」
 キリスト教世界観に立った旧新約聖書理解を探ります

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