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2006年6月

第二章 『神の造られたこの世界と私たちの責任』(24-33)

                  小島 崇

《抜粋》

「神は、まさしく地球の世話をさせるために人間をお造りになった。私たちは、その目的を果たすために造られた。この目的が私たちの存在そのものに組み込まれているのだ。だから、もし私たちが世界に対する責任を果たそうとしないならば、それは神の命令に逆らうだけではなく、そのために造られた私たちの資質、私たちが造られた目的自体にも逆らうことになる。」(27)

「私たちが地を治めるために神の像に造られ、地を治めるために召され、地を治める時に神ご自身の姿を現す、と言うこの真理は、聖書の一番最初に現われるが、聖書はその後もこの真理を変えたり、捨て去ったりしてはいない。私たちが後に見るように、罪によってもこの責任はなくならない。そしてイエス・キリストによる贖いは、この責任を取り去るものではない。かえってそれを回復させ、救いのドラマの一つとして私たちを新たに召すものであるのだ。ここにこそ、私たちがなぜ地上にいるのか、どのように地上で生きるのかを理解する鍵がある。」(28)

 「エデンの園で始まったことが、新しいエルサレムという都で完成する。被造世界には、自然だけでなく文化も含まれているのである。人間の文化を含む世界のすべてが、罪によって歪んだとはいえ、私たちに責任が委ねられた領域なのだ。」(33)

《主ポイント要約》

著者はこの章で人が「この世」で生きる「目的」を示そうとする。(目的といってもそれは個人が任意で選択するようなものではなく、言ってみれば人類に普遍的なものとしてのことであるが。)マーシャルは創世記にある創造物語の中で「世を治める」ことが人間の役割として与えられていることに注目する。その場合、「世を治める」ことは神からの命令として〝外から〟来るものとしてだけでなく、むしろ人間に備わった特質であり、「世界のあり方」である点に注目する。また神学的議論としては、聖書的真理を証明聖句として引用する仕方ではなく、創造物語全体の構成から「人の創造」と「世を治める」役割が物語の根幹になっている、と言う点を導き出そうとする。

さらにこの「世を治める」と言う責任・資質は《堕落》によって消失せず、「イエス・キリストの救い《救済》」においてむしろ回復し、「新しいエルサレム《終末》」において完成する、と言う聖書全体を一貫するものとして捉えようとしている。

では「世を治める」と言う責任はどんな内容を持つのか。著者はこれを「(人間の)文化」を含む被造世界全体だとする。現代的な文脈で言えば「自然環境保護」もその一部だし、政治や芸術など文化諸領域も含まれる、と言うのである。

このような人間の「世を治める」責任を限定し、否定するように見える教えが新約聖書にあることを著者は否定しない。「この世」に対する警戒の教えの数々である。しかし「この世」と言う場合の『世』は「神に逆らう、罪の性質」であり、「世を治める」という時の『世』とは、神が造られ良しとされた被造世界であって、同じ語(字)であっても意味の異なるものであることを指摘する。


《インターアクション》

「支配」か「世話」か

この章の中心概念である「世を治める」の『治める』は新改訳でも新共同訳でも『支配』と訳されている。この本を始めたばかりなので論議を避けようとの意図からか、著者は敢えてこの語の解釈をめぐる論争には入らない。(9章で少し言及されているが・・・。)創世記2章の方の創造物語(エデンの園を耕す人のイメージ)の「世話をする」と言う意味で章をまとめようとしている印象である。

現代的な文脈で神の被造世界を「治める」役割を考える時視野に入ってくるのが、自然保護、絶滅危惧種保存、など生態系保護に関することである。この関連では「世話をする」と言う解釈はうまくつながる。しかし、今日の環境破壊問題を生み出した資本主義の世界観的背景として「ユダヤ・キリスト教文明」と「聖書」が語られる場合、自然(環境)を支配・征服するおごりたかぶった人間、という図式で「支配」は解釈されあまり芳しくない。(1967年に発表されたカリフォルニア大学ロスアンゼルス校の歴史家リン・ホワイトの『生態系危機の歴史的ルーツ』はこの創世記解釈をユダヤ・キリスト教文明に当てはめた。)

と言うわけで、「聖書から実践へ」と聖書的クリスチャンは考えるが、その橋渡しとなる解釈・思想のレベルではなかなか難しい問題も出てくる。またこれまでの歴史で果たしたキリスト教の役割と言うことでも応答「責任」があるだろう。

「支配」か「世話」かと言ったような(神学)論争的なことについて関心のある方は、ネットから入手できるものとして以下のようなものがあるので、興味のある方はどうぞ。

Motivating Evangelicals: Francis Schaeffer, Christianity Today, and Evangelical Concern for the Environment
By Gregory Johnson, Saint Louis University, Fall 1998. http://www.homestead.com/gregscouch/files/environment.htm
Green theology and deep ecology: New Age or new creation?
By Steve Bishop
http://www.theologicalstudies.org.uk/pdf/ecology_bishop.pdf

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