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第四章 『贖いと人の生き方』(44-58頁)

                  小島 崇

《抜粋》

「聖書というものは、罪がどのようにしてイエス・キリストによって克服されたか、今克服されているのか、将来克服されるのかを告げる書(ストーリー)だ。人類がどのように贖われて神との交わりに回復されたか、今されているか、将来されるのかを啓示した本(ストーリー)だ。地球を愛し、治め、世話をするために神が造られた被造物は必ず贖われる。贖いとは、連れ戻す、買い戻す、回復させるという意味で、聖書はこのメッセージを啓示するために与えられたのだ。」(47-48)

「私たちだけが自由にされるのではなく、被造物自体も自由にされる。神の贖いは、ご自身の造られたすべてのためだ、と歓喜のうちに語る。つまり、イエス・キリストによる人類の贖いは、世界を世話するという私たちの務めが新たにされることを通じて、被造世界全体が回復されることをも意味している。」(53)

「地上の生活は、イエス・キリストにある贖いによって終わったのでも、どうでもよくなったのでもない。逆にそれは新たにされ、本来のあり方に戻される。神のご計画の焦点は、それが教会堂の中であろうが外であろうが、私たちの日々の生活にある。祈り、計画、遊び、政治、その他あらゆる生活の場で、神の贖いの力を示すような生き方をしていこう。これは、簡単なことではないが、喜びに満ちた召しだ。」(57)

《主ポイント要約》

聖書によると「クリスチャンがこの世で生きる目的」が文化諸領域活動を含めた「地を治める」こと、創造における人と被造世界の関係性にあることを著者はここまで提示してきた。この理解をサポートする聖書箇所があちらこちらから文脈を離れて選択された上で提示されるのではなく、《創造》《罪・堕落》《贖い》と言う最も基本的聖書ストーリーの枠組みの中でこの理解を提示しようと著者は務めてきた。この4章のテーマである《贖い》はその基本枠からの根拠付け作業のまとめである。

著者は4章で、神の良き《創造》にもかかわらず、《罪・堕落》によって深く影響を受けた人間の「この世を治める責任」、そして被造世界は、その両方ともが神の《贖い》の対象となっていることがイエス・キリストの救済の意味を扱った新約聖書箇所から跡付けようとする。二章で「創造物語全体の構成から「人の創造」と『世を治める』役割が物語の根幹になっている」のを見たが、《贖い》においても(特に2番目の抜粋にあるローマ8:19-23に顕著であるように)この『世を治める』役割に焦点が向けられる。

これらのことから《贖い》は神の創造の目的全体を回復する働きであることが示唆される。贖いとは、人間(しかも魂と言ったような一部)だけで、被造世界が除外されるような救済計画(『救命ボート神学』)ではないことを著者は示そうとする。文化領域との積極的な取り組み、「この世で創造的に生きる」ことは、この〝包括的な〟救済観の上に根拠付けられる。

《インターアクション》

リック・ウォレンと言う人の『人生を導く5つの目的』(The Purpose Driven Life)と言う本が多くの人に読まれていると言う。大衆消費社会の大波に弄ばれ、エンターテイメント化した教会の中で「生きる目的」を見失っている〝クリスチャン〟が読者の中にかなりいるのではないかと想像される。同書は〝伝統的〟なキリスト教に立脚しながら(クリスチャン)読者に〝コミットメント〟を迫る。〝人生の意味〟は教会に通い、牧師の良い説教を聴いたり、良い宗教音楽を聴いたり、と言ったような消費者的、受身的な態度で手に入れられるものではない。自ら「人生の最終目標」を見定め、それに合わせて必要なものを選択し、人生を組み直さなければならない、と主張しているように読める。

現代福音派クリスチャンに対する提案として、マーシャルの本とウォレンの本には興味深い並行があることを、たまたまこの二つの本を読んだ人は感じられたのではないかと思う。聖書をベースにして「人生論(人が生きる目的)」が展開されるという点で両者は同じ基盤を持つ。しかし《創造》《罪・堕落》《贖い》と言う同じ聖書の基本ストーリーをベースにしながら、両者はかなり対照的な「この世に対する」取り組み方を導き出す。そのような理解の〝開き〟が出てくるのはなぜか。やはり《贖い》をどう理解するか、《贖い》の対象とその終末的展望理解にかかっていると思われる。(ご参考までに、ウォレンの本から少々長い抜粋を以下に掲げる。)

「神はあなたの人生に目的を持っておられますが、それはこの地上で終わるものではありません。神のご計画は、あなたがこの地球という惑星で過ごす数十年を遥かに超えたものです。…あなたが母親の胎内で過ごした九ヶ月が、この地上における人生への準備期間であったように、この地上における人生は次の生に向けた準備期間と言うことができます。もしあなたがイエス・キリストを通して神との関係を持っておられるなら、死を恐れる必要はありません。死は永遠の世界を開く扉だからです。…聖書は言っています。『この世は私たちの住む所ではありません。私たちは天にある永遠の住まいを待ち望んでいるのです。』永遠と比べる時、この地上で私たちが過ごす時間などは、ほんの一瞬の出来事に過ぎません。しかし、この地上でどんな結末を迎えるかが永遠の運命を決めることになります。この地上でどのように生きたかによって、死後の運命が決まってくるのです。覚えておかなければならないのは次のことです。『私たちがこの地上の体をまとっている間は、主イエスと共に過ごす天にある永遠の住まいからは離れているのだということです。』」(リック・ウォレン『人生を導く5つの目的~自分らしく生きるための40章』、51-52ページ)

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