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2006年9月

第五章 『学ぶ素晴らしさ』(60-79)

                  小島 崇

《抜粋》

「神の目的と私たちへの召しは、絶えず前進している。新しい疑問、新しい問題、新しいチャレンジ、新しい希望が生まれてくる。私たちは成長し、疑問を持ち、知識と知恵を深めていくようにと召されていて、そのためには自分が変わることを求められる。どんな変化でもよいというのではなく、神の御旨に沿った変化である。聖書の中で、神は人間の根本的な現実を明らかにし、行くべき方向を示された。しかし聖書それ自体は、私たちが知るべきすべてを教えていないし、そのために書かれたのでもない。むしろ、それらを教えてはくれない、と言うことを教えているのである。私たちは聖書の光に照らされて、世界そのものを調べ、理解しようとする。この学習は終わることのない冒険だ。その方向も終着点も想像もできないような冒険なのだ。」(強調筆者、62-3)

「人間であること、すなわち神の像に造られたことの本質は、地球に対する責任が与えられているという点だ。そして、答えが明瞭でなかったり、法律や決まりでは判断がつかなかったりするときに、責任者としての判断が求められる。つまり、世界を世話し正義をもたらすという骨組みにどのような肉付けをしていくかという判断は、私たちに委ねられているのだ。」(68)

「聖書は、あらゆる人間の知識が敬神的におさめられた、霊感を受けた『大百科辞典』のようなものではない。すべてを教えるためではなく、すべての土台を示すために与えられているのだ。」(77)

《主ポイント要約》

ここまで著者は「地を治める」と言う、クリスチャンがこの世に積極的に従事する時の土台となる考え方を聖書から提示した。それに対し5章以降は従事すべき各文化領域(政治・文化・仕事、等々)を一つ一つ取り上げる各論のような構成になっている。その最初に取り上げられるのが「学ぶ」と言うことである。

学ぶと言うことが神の像として造られた人間の本性(政治性、文化創造性)の発揮に不可欠なものであることを明らかにしながら、この章が特に問題にしているのは、クリスチャンにとって「権威の書」である聖書の位置づけの問題である。聖書は何であって何でないか、聖書の中に間違って答えを見つけようとしていないか、陥りやすい誤解を例証しながら聖書の役割を明らかにしていく。聖書と言う「本」の性格を正しく認識し、それに基づいて聖書を適用することの必要性を著者は力説する。

聖書の啓示の性格をどう考えるべきか、一番目と三番目の抜粋がそれを簡潔に述べている。『人間の根本的な現実』『人間の行くべき方向』『すべての土台』と言った表現に示されるように、一般原則のような性格が念頭に置かれている(例えば旧約聖書の『十戒』、73)。だからと言って聖書は「マニュアル」のような指示やルールの体系ではない。「ダンス(71)」や「バスケットボール(76)」の例で説明しているように、人間の文化創造がもたらす、オープンエンドで発展的に生起してくる『具体的状況』に対し、絶えず新しく考え、判断していくためのガイドラインのようなものとして位置づけられている。

《インターアクション》

著者はこの章の中で、自身がクリスチャンとなった後、自分の学問的専門をどのように選んだらよいのか迷った次第を述懐している。(69-71)
私にとって「クリスチャン」と言うことと「学ぶ」と言うことの関連で一番悩んだ問題は「世俗の学問を深く学んで行くと信仰と対立してしまうのではないか」と言うものであった。

牧師になるための神学校での学びから、「宗教社会学」を少し専門に学ぶ段階に入った頃のことであった。社会学の古典と言われるマルクス、デュルケーム、ヴェーバーの著作を読みつつ考えるようになった問題は、これらの「キリスト教信仰」を土台にしていない、いわゆる世俗の学問の前提となっている哲学・価値観にどう対処したら良いのだろうか、と言う問いであった。方法論とか、視点とか、社会学を通して得られる知識や考え方、それらをただ単にキリスト教の宣教の手段として導入するだけでいいのか。(いわゆる「クリスチャン」を冠した人文科学のようなもの)それとも社会学なら社会学をキリスト教にどう結びつくか脇に置き、とにかく深く掘って行ってその深いところから出てきたものを身につけるのか。どちらのアプローチがいいのだろう・・・。

性格的に前者のようなものは肌に合わないので、後者のアプローチしか考えていなかった。それで生じてきたのが「(社会)科学と信仰」の問題。どこかで対立して自分の中で統合できなくなってしまわないだろうか、という怖れを覚え立ち止ってしまった時があった。

悩みの中身はとてもここで紹介できないが、とにかくこのような(葛藤)経験を通して、自分なりに「世界に対して開かれた態度」が身についてきたのではないかと思う。一章の《インターアクション》で紹介したが、保守的な信仰背景の学校から次第にリベラルな信仰背景の学校へと移るに従い、〝外の世界〟に対する恐れ(その影響下に入ってしまい自分の信仰が変えられてしまうのではないか、と言ったような)と向き合いながら「学ぶ」と言うことの基本的リスクである「自分を変える」ことを受容できるようになってきたのでは、と思っている。

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この世を我が家に

                      近藤 和子

私はご近所で開かれていた家庭集会に集い、約8年間の求道の後、1972年のクリスマス、34才の時に洗礼を受けました。

聖書に興味を持って

私は若い頃から絵画を鑑賞する事が好きでした。レンブラントや多くの画家達によって描かれた宗教画に興味を持ち、2千年間も変わらずに歴史の中を生き続けている聖書には真実が書かれているのかも知れないと言う漠然とした思いがあって心惹かれていました。知識や教養として聖書の事を知っていてもいいかなと思ったのです。
 聖書を学ぶにつれ、イエス・キリストと十字架の意味は理解出来るようになりましたが、それを自分の事としてはなかなか受け止めることが出来ませんでした。しかし、やがて、ヨハネ3章16節の聖書の言葉に深く心探られ、信仰を持つに至りました。洗礼を受けた後は教会での日曜礼拝を守り、婦人会へ出席し、我が家でも家庭集会を開いたりと、いろいろの奉仕に励みました。
 やがて二人の娘達も社会人となり、夫も定年を迎え第二の職場も決まりました。私は今日まで家族が大きな病気もせずに守られてきた事を感謝しました。この幸せな日々が何時までも続くと信じておりました。私にとって順風満帆の日々でした。

思いもよらぬ出来事

しかし、突然思いもよらぬ出来事が起こり、私は大きな精神的ショックを受け、その後約2年余り重い鬱病に苦しみました。それは出口のない闇をさ迷う日々で、礼拝へも婦人会へも行く事が出来ず、聖書を読む事も祈る事も出来ませんでした。 
 ただ、「ドルカスの会」というパッチワークと手芸の会にだけは行く事が出来ました。それはこの「フォーラム」の『再び絵筆を取って」という証しを書かれた鈴木桂子さん宅で月に一回開かれていた集まりで、私はとても楽しみにしていました。クリスチャンの姉妹方の穏やかで明るいお顔を拝見し、楽しそうなお話と笑い声の中に身を置いていると、不思議とその時だけは胸の中を何時も吹いていた冷たく寂しい風の音が止みました。心のこもったお美味しいランチをいただく時、生き返る思いでした。メッセージも賛美もありませんでしたが、温かさに溢れていました。私は翌月の「ドルカスの会」を指折り数えて待ちました。
 また娘の中学時代、PTAの役員をした時に知り合った、母親同士五人の仲間との交流も大きな励ましになりました。月に一度、その内の一人の方の家に集まり、食事をし、近況を語り合い、そして家庭カラオケを楽しむという、歌あり笑いありの楽しいものでした。共に国内旅行にも行き、私は自然の美しさに触れる度に心が癒されました。教会とかかわりのない集まりでしたが、その時期の私にとってはかけがえのないものでした。今振り返って見ると、いろいろなかたちで神様は助けの御手を差し伸べていて下さったのでしょう。

離婚の決意

私は少しずつ健康が回復していき、その後、30年余りの結婚生活を終わりにする決心をしました。結婚前の娘達の事や80歳を過ぎた私の母の事等を思うと苦渋の選択でした。
 私は離婚届を出し、八月の太陽の下を一人で歩いていました。住み慣れた町並みの景色は無声映画の様に映り、静寂の世界でした。信号が青に変わり道路を渡りながら、私は今晩の夕食のおかずを考えていました。その時「そうか、もうその事はしなくていいのか、今日から一人になったのだ、これからは一人で生きていくのだ」と初めて自分の置かれた環境の変化に気付かされました。眼の前を通る幸せそうな家族連れの姿、仲睦ましいご夫婦の姿を見つめながら、私にはそれらはもう二度とやってこないのだろうと思いました。不思議と悲しみも苦しみもありませんでした。その時でした。真夏の青空が私の頭上から天まで突き抜けるように開けました。その瞬間、詩編23篇6節のみ言葉が心に浮かびました。

 まことに、私のいのちの日の限り、
 いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしよう。
 私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

「神様、私にはまだ住む家があったのですね。これからの住まいをあなたは『主の家』と名付けて下さったのですね」と心のなかで主に語りかけました。雑踏の中を歩きながら初めて涙が止めどもなくあふれ出ました。このみ言葉は今日まで私の心の中で大きな支えと励ましになっています。 
 それから私は仕事を探し、働き始めました。バブル景気と呼ばれていた時期が終わりを告げる頃と重なったため、何度か職場が変わりましたが、神様はその時も不思議なように新しい仕事を与えて下さいました。現在はセブンイレブンで働いており、今年で5年目になります。経営者ご夫妻は「ここは定年はないので元気な内は続けて働いて下さいね」と言って下さり本当に感謝です。
 またある時、鈴木桂子さんのお誘いで、町田俊之先生が開いている「バイブル&アート」の学びに参加する機会を得ました。学びを通して、今までよりさらに奥深く絵画鑑賞を楽しむことが出来るようになりました。こうして、日々の生活も仕事も落ち着いてきました。

肩身の狭い思い

しかし私は、家族を救いに導く事が出来なかった事や、離婚した事等を思う時、人から何か言われたとか責められたとかの理由ではなく、次第にクリスチャンとして肩身の狭い思いを抱く様になりました。そしてこれからの自分のクリスチャン生活の方向が解らなくなってしまいました。毎週礼拝を守り、罪の許しをいただいている事を感謝し、教会生活を守る事が一番正しいとは理解していても、私の不信仰のために次第に喜びがなくなっていきました。あの日、「主の家に住まいましょう」と私にみ言葉を下さったのはどういう事なのだろうか。私を愛し、苦しみの中から救い出して下さった神様は、天国に行くまでこんなに重い気持で信仰生活を歩みなさいとおっしゃっているのだろうか…。
 解決を得られぬまま、朝毎に一人で静かに聖書を読み、み言葉をいただき、そして祈るうちに、その時間が一番穏やかで平安が与られる時となりました。「人間は弱いので、一人で信仰を保ち続けるのはむずかしい事、だから教会に集う事が大切」と言うアドバイスをして下さった友人もいました。私もそれを否定できませんでした。

キリスト教世界観との出会い

ある時、それまで抱いていた気持ちを鈴木桂子さんに聞いていただきました。その時、一冊の本をプレゼントして下さいました。それはポール・マーシャル著『わが故郷、天にあらず』でした。題名に驚きましたが、読み進むにつれ、私の悩んでいた事の解答がはっきりと示されて行きました。

「私達人間は、神の像に、しかも肉体を持つものとして造られ、地上で生きるために創造された。これが真理なのだ。」

「地上の生活はイエス・キリストにある贖いによって終わったのでも、どうでもよくなったのでもない。逆にそれは新たにされ、本来のあり方に戻される。神のご計画の焦点は、それが教会堂の中であろうが外であろうが、私達の日々の生活にある。祈り、計画、遊び、政治、その他あらゆる生活の場で神の贖いの力を示すような生き方をしていこう。これは、簡単なことではないが、喜びに満ちた召しだ。」

「私たちは罪と悪の真ん中でくつろぐこと(アト・ホーム)など絶対できないのだが神が与えてくださったこの世界を我が家(アト・ホーム)とするように召されている。働き、遊び、眠り、また歌うとき、私たちはクリスチャン生活から離れているのではなく、むしろクリスチャン生活をいきている。目一杯心をこめて、かつ遊び心を持って、そして危険なまでに全力でいきていくとき、人生に対する神の御旨を成し遂げている。」

「私たちの仕事がいかに小さく、粗野で、不完全なものであったとしても、最もあわれみ深い父がそれをみて満足してくださる。」・・・(本文より。斜体、下線は筆者による)

肩身の狭い思いを抱いたのは、私自身の中にプラトンの二元論が深く根を下ろしていたからだと解りました。今振り返ってみると、闇をさ迷う苦しい日々の中でも「生きたい」と思って来ました。与えられた仕事を誠実に続けたいと願って来ました。私は一人の生活になっても料理をし、季節の花の種を植え育て、そして与えられた人生を自分らしく精一杯生きていこうと思って来ました。そのように、神が与えて下さった世界で私が懸命に生きている事自体がクリスチャン生活を生きていることであり、クリスチャンはこの世界を我が家(アト・ホーム、主の家)とするように召されていると知った時、私は眼の覚める思いがしました。今までの苦しみからようやく解放されました。

昨年、「キリスト教世界観ネットワークの集い」に出席する機会があり、この世界観を知ってより広い喜びのある信仰生活に変えられた事を皆さんにお伝えしました。これから、この「キリスト教世界観ネットワーク」の働きは、益々必要になってくるのではないでしょうか。そのためにも神様の祝福が豊かにあります様お祈りいたします。

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