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アメリカの思い出

                                            2008年1月 島先克臣

小嶋さんの読書随想第十四章を読んですぐに思い出した二つのことがあります。それは私が1994年から96年までの間、アメリカで旧約の修士過程に学んでいた時の出来事です。私が学んだ神学校は北米の福音派では名の知れた神学校でした。

フレンドシップ伝道
 あるとき、私の出身教派と同じ教派の牧師会があって出席しました。そこでの話題は『フレンドシップ伝道』でした。150年前は世界宣教の中心であったニューイングランドは今や最も世俗化が進んだ地域で伝道が非常に困難であると言われていました。そのため、他のどのような方法も効果がなく、この地方ではフレンドシップ伝道しかない、という内容が語られていました。つまり未信者と友達となってイエス様に導くという方法です。
 福音派のあり方に疑問を持ち始めていた私にとってこのフレンドシップ伝道という考え方は、究極的なゆがみと映りました。つまり救霊のために芸術や音楽を利用して来たけれど、ついには友情までも手段として利用しようとしている、と思えたのです。
 救霊のために、人にとって大切なことが手段化していくのは、アメリカに行く前にいたフィリピンでも見られました。救霊のために医療活動を始めても、改心者が起こらないと、効果的ではないとして活動を止めるのです。貧しい人が病気で苦しんでいる。その病を癒すことはそれ自体には価値がなく、救霊に結びつく時に初めて利用価値が出てくるのです。
 イエス様は病んでいる人々を癒されました。友のために命を捨てられました。それは人を伝道の対象とし、救霊事業の成功という目標を達成するために、癒しや友情を手段とする、というものではなかったはずです。
 福音派はいったいどこまで歪んで行くのだろう、その原因は何なのだろうと考えざるをえませんでした。

神学生の自殺
 もう一つの出来事は、私と家内が知り合いだったある神学生が、学校の寮で首つり自殺をしたことに関するものです。その神学生の葬儀がチャペルで行われました。葬式では学校からも学生からも悔い改めや悲しみの言葉はなく、自分たちは精一杯やったというメッセージが語られました。未信者のご親族の一人は最後の挨拶で、堪え難いようにして「なぜ悔いることばも、悲しむ言葉も聞かれないのか」と疑問を投げかけておられました。翌日、全学生に当てて学長が手紙をよこしました。それには勉強が忙しいのだから早く学業に戻るようにと書いてありました。確かその晩だったでしょうか、自殺した神学生の毋教会の牧師が来て、小さなグループに話しをしました。この牧師の言葉には、問題があったと知りつつ推薦状を書いたことへの反省や、一人の人間が自ら命を絶ったことへの悲しみは全く表されませんでした。それどころか、カウンセリングの専門家であったこの牧師は、心に問題のあった故人を「良いケーススタディ」として紹介したのです。これが福音派の有数な神学校で行われたこと、福音派の指導者の発言なのだと考えたとき、福音主義の思想と霊性にはどこか大きな欠点があるに違いない、と益々思いを深めたのです。

  
救霊が唯一絶対の目的となり、あとの大切な日常の営みが全て、それが癒しであっても友情であっても、手段となっていく。これが本当に正しいキリスト教のあり方なのでしょうか?もしかしたら、これは一部の人々の心ないあり方なのではなくて、福音主義自体がもっている根底的な思想と関わりがあるのかも知れないのです。小嶋さんのまとめと、マーシャルの本の第十四章は、そのことを真っ正面から考えさせてくれます。

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コメント

本年もよろしうお願い申し上げます。

こうした本当のことを書いてくださってありがとうございました。
深刻ですね。
いつのまにか教会に巣くっている福音から遠い姿を思いました。
ゆがみ、と言えるのでしょうね。

とくに指導的な立場にある人の責任は重いと思います。
神が与えた、ふつうの人のふつうの感覚を失ってはならないと思われます。自らも省みたいと思います。

投稿: obuchi | 2008/01/12 20:12

コメントありがとうございます。このことは長い間文章にする気持ちになれませんでした。あれから十数年、旅は続いていますが、少しは気持ちが落ち着いて来たということかもしれません。
 今年も語らいの機会を期待しています。

投稿: シマサキ | 2008/01/12 21:13

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