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素晴らしい世界

                                綾部ベタニヤチャーチ 牧師
                                進藤恵美子

私たちの教会は、一般にペンテコステ、あるいはカリスマと呼ばれるグループに属しているようです。(私たちは福音派、ペンテコステ派・・と、あまり区別したくないのですが、、。)

私も含めて教会員の多くは、元々「異言」を否定する教会にいたのですが、聖書に書かれているような癒しや奇跡などの聖霊の働きが起きている事を知って、私たちの回りの方々の問題の解決や癒しのために祈り始めました。すると祈りは聞かれ、次々に時と場所を変えて私たちは異言を語り、主が生きておられる事を実際に体験し始めました。それは私たちにとって、何にも代え難い主からの恵みで、以後、多少の経緯がありましたが、現在の教会を形成するに至りました。

異言の恵み、しるしと不思議、奇跡、癒し、霊の戦い、解放のミニストリー、金粉が降り、金歯のしるしがあり、笑いと涙と叫び・・などを通して、霊的束縛や、様々な問題と重荷から解放される人々を私たちは数え切れないほど見てきました。主が私たちと共におられることを体験出来る喜び、また圧倒的な神の栄光と臨在が私たちの間で現されるのは、聖霊様からの励ましだと思います。神様は賜物もしるしも惜しみなく、豊かに与えてくださる方なのです。そして、そのような主の豊かな恵みに触れて、御心をもっと知りたい、自分の使命を知ってそれに従う人生を全うしたい、主に喜ばれる者になりたいと、益々願うようになりました。

生活に歪みが

ところが、いざ自分の人生を主に委ねて御心を悟る場面になると、とても難しくなります。なぜなら、今まで自分たちが教えられてきたのは、

「滅んでしまう地上でのクリスチャンの使命は、滅び行く魂に対する宣教である。祈りと悔い改め、礼拝と霊的戦い、そしてそれらの事柄に携わることだけに価値がある」

というものだからです。この価値観で測られると、介護や子育てに追われる日々を過ごしている人たち(私も経験したことですが)、時間的にも体力的にも余裕のない人たち、環境や状況のハンデ、経済的・知的ハンデがある人たちは、同じクリスチャンであっても、部外者であるかのような疎外感を感じてしまいます。教会からの援助と励ましをより必要としている人たちなのに!しかも「この世界はサタンの支配下にあるから・・」とサタンの働きをあまりにも過敏に意識して霊の戦いに明け暮れていたために、与えられている家族や人との繋がり、日常生活で現すべき隣人への愛や地上で果たすべき使命さえも後回しになってしまう危険を感じるようになりました。しかし結局、霊の戦いと、魂の刈り取り以外には価値を見出せないような世界にいたため、次第に、心身ともに疲れを覚えるようになり、家庭生活にも歪みが出てきました。

信仰のバランスを求めて

そこで私たちは、信仰のバランスを取り戻す必要を感じて、「人生の目的」「世界観」「神の国」などについて、こつこつと時間をかけて、教会で皆と一緒に学び始めました。とても益になりました。分かち合いの時間の中で、自由に質問し、教え、教えられ、お互いの内面についても知ることが出来て、教会としても成長させて頂いたことです。

キリスト教世界観ネットワークとの出会い

そのような時、出会ったのが「キリスト教世界観ネットワーク」のウェブサイトでした。その中の「終末の今を生きる」「旧新約聖書の流れ」「ひとつの物語としての聖書」などのページを通して、神様のご計画、聖書内容の起承転結を「ガッテン」することが出来ました。本当に、目からうろこ!スッキリと聖書の流れを理解することが出来たのです。

また、『わが故郷天にあらず』という本を読んで、誰もが自分の日常生活を通して神のプロジェクトに参加することが可能であると知りました。この本は、創造主の万物に対する愛と救い、イエス様の愛と聖霊様の助けと励ましが、全ての人に注がれていることを具体例を挙げて教え、この世界と人生に意義を見出すことが出来ると語っています。本当に素晴らしい福音理解を教えていただきました。

ある方から電話がありました。その方は、以前から熱心に真理を求めておられ、様々な戸をたたき、本物を捜しておられた方です。クリスチャンになってやっと神に出会ったと平安を得て喜んでおられたのですが、暫くすると、「聖書に書いてあることを、実際の生活にどう結び付けたらいいのか全く分からない。クリスチャンって、何て難しいのか!」と何度も言われていました。ところが、お渡しした、『わが故郷天にあらず』を読まれて、「ず~っと疑問に思い、何かが喉につかえるように感じていたのが、やっと取れました。聖書の言わんとしていたことが、腑に落ちた感じです。」と喜んで電話を下さったのです。

私たちの教会でも

私たちの教会でも、キリスト教世界観の学びを始めました。その視点からそれぞれの仕事、職場、地域、環境の中での役割を捉え直すようになりました。たとえ日曜礼拝で会えなくても、地域に仕えることにより、また子育てや介護を通して家族と親族に仕える事によって、自分たちが主の愛を担って用いられていることを信じられるようになりました。クリスチャンや教会生活に関する古い価値観が次々と崩れ新たにされる一方で、それぞれの生活の現場に神様から委ねられた働きがあることを認識し始めています。今、私たちは「真理はあなたを自由にする!だね!」と、喜んでいます。

素晴らしい世界

また、この世界自体が神様が造られた素晴らしい世界であるとあらためて教えられています。振り返ってみますと、信仰を持った時、砂粒ほどの私の存在も含めて天地万物、端から端まで全て、神様が創造された世界であり、神の愛によって支え守られている存在であったと教えられ、ワクワクする程の喜びがありました。次の日目覚めると、昨日と何一つ変わってない日常の光景なのに、全く違った世界のように新鮮で、輝いて見えました。空も木も花も隣人も鳥のさえずりさえも・・。でも、その喜びも次第に薄れ、疲れと歪みにとってかわられていきました。しかし憐れみ深い神様は、私の目を開いて、素晴らしい世界がある事をもう一度思い起こさせて下さったのです。

私だけではありません。この福音理解で人生と世界を見ることが出来たら、ひっそりと地の果てで暮らしておられる方も、主が造られた素晴らしい世界を思い起こすことが出来、希望と生き甲斐が与えられることでしょう。

これからも私たちはこの福音理解に立って、一人ひとりがどのように主に仕えてゆくのかと互いの働きを楽しみにしつつ、支えあい、励ましあい、助け合っていきたいと思っています。

変革のうねりが

今の時代、どの教派にかかわらず、日本にキリスト教信仰の変革のうねりが起こされているように感じています。日本人の聖書理解、封じられていた聖書の世界観、いろんな意味で先生方も立ち上がり、時代の恵みであるインターネットからも声を上げ、何がキリスト信仰で、何がそうでないのかを明らかにして下さっているのではないかと思います。キリスト教信仰と思い込んでいたものが、実は異文化が混入していたに過ぎなかったり・・。

私にとって、キリスト教世界観は基礎科学のようなもの。基礎科学が分かってないのに、応用科学ばかりに目を留めて右往左往している様では、人生の風雪に耐える力はないでしょう。

神の創造された世界とその目的は、人間の罪によってアップダウンして崩され、ついには消滅してしまうのではありません。神の主権と創造の目的は揺るぐことがないと聖書は一貫して語り続けているのですが、それがなぜ今まで読めなかったのか、不思議な気がしています。

最後に

サッチモと若者の会話記録とWhat a wonderful worldの歌詞を引用して終わります。

「素晴らしい世界」ってどういう意味なんだい?
世の中で起こっている戦争も素晴らしいのかい?
飢餓や戦争のどこが素晴らしいんだい? と若者がサッチモに聞く。

「俺には世界はそんなに悪くないと思えるんだ。
 言いたいことは、
世界は素晴らしくなる・・・
そう思って行動すればね。 愛だよ 愛 それが秘訣だよ。
もっともっと オレ達が愛しあえば 問題も減るし 
世界はとびきり いい所になるんだ
それが このおやじの ずっと言ってることなんだ」

・・・・・・・・・・・・・

木々は緑に輝き 赤いバラは美しく どれも私たちの為に 咲いている  
そして ふと思う なんて素晴らしい世界

どこまでも青い空と まっ白な雲 光りあふれる日と 聖なる夜    
そして ふと思う なんて素晴らしい世界

七色の虹は 美しく輝き 行きかう人々の 顔も輝いている

友だちが手をとり あいあいさつをかわし 「愛してる」と 言っている

赤ん坊が泣いて やがて育っていく きっと たくさんの事を 学びながら  
そして ふと思う なんて素晴らしい世界

ふと思う なんて素晴らしい世界 OH, YES・・・・

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