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2009年7月

和解と追悼―キリスト教世界観に生きる

                               山川 暁

 間もなく敗戦を覚える8月がやって来ます。キリスト教世界観に生きる私たちは敗戦から、それは戦争を考えることになるのですが、学び、平和の君、イエス・キリストに仕える者として、よりふわしく歩みたいものです。

 さて、先の20世紀は戦争の世紀であったといわれています。キリスト者は戦争の背後には人間相互の間に敵意が存在していたことを忘れてはならないと思います。翻って21世紀はどうでしょうか。敵意は取り去られる方向にあるのでしょうか。残念ながら依然として戦争があり、現在においても血が流され続けています。加えて、戦争以外でも年間1000万人以上の人びとが飢えなどでいのちを失っています。圧制もあり、また紛争もなくなってはいません。世界のいたるところに対立と敵意が見られます。21世紀は敵意の時代とさえいえるのではないか、そう思います。そして、この敵意の対極にあるのが和解であります。聖書にもこう記されています。

 さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。(使徒12:20)。

 聖書は、人間の敵意は罪によって生じたと教えています。敵意は神と人との関係性をも破壊させました。だが憐れみ深い神は、御子イエス・キリストを十字架に付けることで、人間との和解の道を開いてくださいました。しかし、人間と人間との間にある敵意は依然として取り除くことができないでいます。
 先に21世紀が敵意の時代であると書きました。その敵意が人々の想像を超えた形で投げつけられたのが01年9月11日に、アメリカで起こった同時多発テロ事件でありました。この事件は人間の敵意を一気に顕在化させてしまった観があります。
 そしてこの9・11同時多発テロは、実は日本人がヒントを与えたとも言われています。オーム真理教が地下鉄にサリンを撒き、無差別大量殺戮を計ったこと、それが9・11テロにつながったというのです。オーム真理教は軍事力を使わなくても、一介の市民でも、無差別に大量殺戮を実行できることを世界に示した事件でもあったのです。しかし、多くの人は誰もオームの起こした事件をそのようには捉えてはいません。例えば,宗教学者の中沢新一氏は今は亡き心理学者の河井隼雄氏との対談でこう語っています。

 同時多発テロのとき、日本人の多くが、キリスト教やイスラム教など一神教はちょっとどん詰まりに来ちゃっているなあ、という感じを受けたと思うんですね。(『朝日新聞』03年1月1日)。

 中沢新一氏は同時多発テロを、キリスト教とイスラム教の枠内で捉えようとしています。しかし、中沢氏はオーム真理教に高い評価を与えた人物でした。にもかかわらず、オーム真理教が事件を起こした後、氏は口を閉ざしたままであるようです。オーム真理教が引き起こしたサリン事件の裏に、社会に対する敵意があったことには口をつぐんでいるのです。

 ところで、第二次世界大戦において、ドイツはユダヤ人を大量虐殺しました。いわゆるホロコーストです。しかし、ドイツの人々は時間をかけることなくユダヤ人との間に和解を実現させています。その裏にはドイツが置かれている文化的背景に目を向ける必要があるでしょう。それはいうまでもなく、キリスト教に色濃く染まった文化です。キリスト教世界観です。
 一方、朝鮮と台湾を殖民地支配していた日本はどうでしょうか。中国および東南アジアに対して、侵略戦争を仕掛け(この戦争を欧米からの支配から解放するための聖戦であったと主張する者もいます)、多大な犠牲を強いた日本でした。犠牲を強いた国々との間に、和解はなされているのでしょうか。残念ながら真の和解はまだなされているとはいえないと思います。もし,和解が果たされていれば、日本はアジアの人々の目に、好ましいものに映っているはずです。果たしてそう映っているでしょうか。逆にアジアの人々目には厳しいものがあるというのが現実ではないのでしょうか。
 だが、国と国とが和解を果たすことは決して易しいことではありません。世俗的価値観に縛られている国家と政府は、和解よりも国益を重視するからです。国益のためには、和解は二の次にされるのである。これが世界の現実です。従って、和解は民衆の手によってなされることが期待されています。特に、キリスト教世界観に生きる私たちに期待されています。

 和解の道を開く一つのケースについて書かせていただきます。それは新しい追悼施設の建設をとおして和解の道を開くというものです。何故なら、中国そして朝鮮半島の人々との和解を妨げているのが靖国神社であるからです。おりしも、今年は靖国神社法案が国会に提出されて40年目に当たります。法案こそ廃案となりましたが、靖国神社問題は依然として憲法改正とリンクして、現在でも生き続けています。
 戦前の靖国神社は陸軍と海軍とが共同管理する、戦死者を祀り、顕彰する国家神道の施設でした。だが、敗戦直後GHQの神道指令によって、靖国神社は単なる一宗教法人の神社となりました。とはいえ、靖国神社の内実は、戦前の皇国史観と共に、戦死者だけを祀るというこれも戦前からの内容をそのまま引き継いできています。先の戦争を反省することなく、アジアの諸国を欧米の手から解放するための聖戦であったと主張しているのです。それゆえに、堂々とA級戦犯をも祀っています。
 だが、中国、朝鮮半島の人々の靖国神社に対する見方は違います。靖国神社を軍国主義の象徴と見ているのです。中国、また朝鮮半島の人々が、日本の最高指導者が靖国神社への参拝に反対し、不快感を現すのはこのためであることを知らなければならないと思います。そして、このことが和解を遠ざけているともいえるのではないでしょうか。
 この和解を妨げているものを取り除く道はないのか。そこから考え出され、主張されているのが、戦没者、戦死者を追悼するための新しい施設を造るという意見です。この考えをかねてより強く主張されている一人が、稲垣久和氏です。稲垣氏はこう主張しています。

 追悼施設を造り、それを国費で管理することは、宗教の国家管理につながるのではないか、との疑問も出されているが、それは杞憂である。なぜなら墓地や追悼施設は宗教施設ではないからだ。そこが靖国神社とまったく違う点である。追悼施を国費まかなうとは、建設費を国が支払うということにほかならない。さらに、施設を国立公園なみにきれいに清掃する、等の意味での施設管理維持費用は、「国民の福祉」として社会保障給付金のように国民の税金から支出すべき性格のものであって、国民の一部のボランテイア活動家が出すべき性格のものではない。むしろ市民の側からこれを積極的に提案し、国家は土地と維持管理費とを「国民の福祉」として提供すべきである。それが国家の戦争責任の表明ともなるはずだ。そのためには現代国家を、たんにトップダウン(上から下へ)の一元的な「主権権力国家」(権力装置)と見る発想から、多元的な領域主権の分散した市民のボトムアップ(下から上へ)の「福祉増進の機構」(福祉装置)と見る発想への転換が必要なのである。なぜならわれわれが国家(コモンウエルス)を社会契約によって作っているのである。それゆえに税金をおさめているのだから。(「戦争と追悼」)。

 稲垣氏の考えには新しい国家観が見られます。国家を従来の権力装置を持った機関だけとは見做さず、福祉を増進させる福祉装置機関と捉え、それを重視していることです。そのためには敗戦後も意識の下層部で日本人を縛り続けている「滅私奉公」のイデオロギーから解放されなくてはならないといいます。「滅私奉公」に代わって、「活私開公」という新たな考えを持つことが必要であると説いています。「活私開公」とは私を生かし、公を開くことです。
 新しい戦没者追悼施設が造られた暁には、それが市民の間に定着してくるにつれて、靖国神社は自然に相対化されてくるはずです。新しい戦没者追悼施設は開かれた公共空間として、そこにおいては如何なる宗教を信じる人も、自由に自分の信じる信仰とその形式によって、死者を追悼することができるのです。
 ここで重要なことは、新しい戦没者追悼施設は市民の側から提案して、国に建設を求めていくという点です。それがアジアの人々との和解の道を開くことに通じているからです。
 和解を追悼とセットで取り上げたことには理由があります。死者の追悼をとおして、和解を実現させるケースが少なくないからです。追悼とは、死者を偲び,悼み悲しむことであり、同時に死者を記憶に留めることです。和解がなされるためには、過去に目を向けなければなりません。アジアの人々の記憶を知るとき、私たちは過去の罪を悔い改める必要に気づかされるのです。そして、そこから和解への手がかりが与えられるのです。
 歴史から学び、平和の君であるイエス・キリストの御旨に生きているかを、絶えず自己検証して歩むこと、それがキリスト教世界観に立って生きることではないでしょうか。

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働くことの意味

                            ロゴス会委員 中島 俊男 

企業の中のクリスチャン

 私は1950年福井県の高校を卒業して、神戸に本社がある製鉄会社に入社した。家庭の事情で大学進学が叶わず、涙をのんで就職した。入社1年後、英語の勉強のため神戸にある英語学校の夜学部に入った。その学校はミッション・スクールで、週2回授業の合間にチャペルがあった。この科学万能の時代にまだ宗教を信じる人がいるのかと思っていた私は、次第にキリスト教に捕らえられていった。
 1953年クリスマス、私は日本基督教団の教会で洗礼を受けた。礼拝・祈祷会に出席するほか、病院、養護施設、刑務所などを訪問した。しかし間もなく、当時台頭していた、宗教と科学、キリスト教とマルクス主義などの問題で悩むようになった。教会はこういう問題に対して十分な回答を与えてくれず、友人に問いかけても無関心な態度しか示さないことに失望していた。
 1961年、会社の東京支店に転勤となった。そこで命じられた仕事は、英語力が必要な海外事務所の管理だった。当時なけなしの外貨割当の便宜を計ってもらうため、監督官庁の役人を接待しなければならなかった。私は、初めて、自分の信仰と社会の現実の問題に突き当たった。私は悩み苦しんだ。

信仰と現実

 未熟な信仰の私に浮かぶ聖書のことばは、「世をも、世にあるものをも愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。」(Ⅰヨハネ2:15)、「だれでも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)だった。
 私は、会社を辞めて神学校に行きたいと思った。しかし、周囲の反対と家族を養わなければならない義務感の前に、それを実行出来なかった。だが、私の心の中には、「会社を辞めて神学校に行けば、私自身は世の問題から解放されるかも知れない。しかし、問題はそのままこの世に残ってうめいているではないか。たとえ、泥まみれになってもよい。会社に留まって、信仰と現実の問題に取り組もう。」と、決意のようなものがあったことは事実である。
 私は、会社に命じられた職務を忠実に遂行し、必要に応じて関係官庁の役人を接待した。会社の人間にしてみれば、そんなことは当たり前のことだった。どの企業でもやっている。企業と監督官庁のもたれ合いは当然のことだった。ある年の暮、ある官庁に行ったら、忘年会のために酒を持ってくるように言われた。会社の総務課にその旨を告げたら、即座に用意してくれた。私は、このようなことをぬけぬけと要求する役人の厚かましさと、その意のままになっている自分自身に腹を立てながら酒を届けた。
 日本経済は高度成長で突っ走っていた。私は会社の仕事に打ち込み、遅くまで働き、疲れて帰宅し、家族との対話も薄れた。その中、私の心に去来するのは、クリスチャンのこの世での生き方、信仰と現実の問題、そして働くことの意味だった。しかし、私の回りで語られたことは、クリスチャンは神によって今の職業に召されたのである、真面目に働いて神の栄光を現わすべきである。今は苦しくても、「喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいから。」(マタイ5:12)だった。
 とはいえ、サラリーマンは1日、1週間、いや、一生のほとんどの時間を会社の労働のために費やしている。日曜礼拝の意味付けは出来ても、週日大部分の時間を捧げている労働の意味が分からなければ、やはり会社を辞めて神学校に行くか、キリスト教関係の仕事に就かない限り、真の心の平安は得られないのではないか。心の葛藤はあったが、忙しい仕事に毎日追い回される生活の中、信仰と現実の問題、働くことの聖書的意味をゆっくり考える余裕などなかった。

不正な管理人

 受洗して30年目、私は隅谷三喜男氏の「受肉の信仰」という著書に接した。そこに、ルカの福音書の「不正な管理人」のことが書かれていた。隅谷氏は、主人の財産を使い込んだ不正の代理人とは、我々自身だと言う。

「聖書の光に照らして人生の現実を見つめる時、どうもがいても私達は“不正な管理人”でしかあり得ない。私たちが善と考えて最善を尽くしたとしても、この世俗の中では様々の不正と深く結び付いている。私達の生活は罪の現実と切り離せない。私達は再軍備に反対する。しかし、善良な市民として私達が納める税金の十分の一は軍備に使われている。公害に反対しながら、私たちは公害をばらまく車やバスに乗る。原子力発電に反対しながら、原子力で発電された電力で電灯をつけ、電気器具を使う。きれいな生活はロマンチックであっても、現実の人生は泥にまみれたマイナスの符号がついている。
 現実の社会は信仰生活と両立しないような様々の問題をはらんでいる。その中にあってクリスチャンは、なるべく問題の少ないところで生活しよう、神の前に出来るだけ潔い生活をしようと思って、現実の生活から少し後退して、なるべく汚濁との接触をしないようにする。しかし、パンを得るためにこの世俗の中に生きなければならないので、ほどほどの付き合いをして、現実に対処していく。」(1)

正に私の姿が描かれていた。会社におけるクリスチャンの影は薄かった。現実の世界に対して逃避的な態度を取っているクリスチャンが、会社の中でそのアイデンティティを打ち出すことはできなかった。

聖書的労働観

 会社に入社して40年が過ぎた。1993年に退職する数年前、私は聖書的労働観に出遭った。

「神のかたちを持つ人間に与えられた最初の仕事は、神が創造し、良しとされた世界を管理し(創世1:28)、エデンの園を耕し(創世2:15)、被造物に名を付けることだった(創世2:19)。人間の労働は、被造世界に秩序を与え、発展をうながすこと、つまり、世界を管理する働きとなった。神が支配し、いのちを育てられる神の仕事に、人間が召されたのである。人間の労働は、神の代理として行う、光栄で、名誉な、喜びに満ちたものである。人間は、神に代わって世界管理をする働きの中で、神のかたち、すなわち、その人格の尊厳を確認し、その中で人格が成熟していくのである。
 神はこの仕事をひとりだけの人間に託さず、助け人としての女を創造し、彼らが協力して使命を達成するようにされた(創世2:18)。人間の使命は、本来、愛と信頼による自発的で、自由な、楽しい協働によって達成される。かれは人との人格的な交わりによって育てられる。その人間の生活を支えるものは、神と一体化する親密な人格的な交わりである。
 その人間が罪を犯した。その結果、人間の自己防衛と逃避と責任転嫁の姿勢は、神との交わりを損なわせ、世界を管理する力を人間から奪った。人間の社会は、強者が弱者を支配する強制秩序に変わった(創世3:16)。自然は、いばらとあざみを生じ(創世3:18)、人間の労働は食うための惨めな労苦に堕した(創世3:19)。神に代わって世界を支配し、愛する者とともに被造物を管理する、光栄に満ちた、喜ばしく、楽しい労働は虚無に服した。
 罪人がイエス・キリストを信じる時、彼は救われ、その労働も虚無の支配から解き放たれ、神の管理のわざは回復される。そして、その仕事に再び神によって召される。
 しかし、現実の社会と労働は全体として罪の支配下にある。従って、現実の社会でのクリスチャンの労働は、虚無への流れに抗して進められる戦いである。神との交わりが薄れ、召命感があいまいになると、すぐに押し流される。しかし、その戦いの中で彼の品性は練られ、同労者との人格的交わりが育てられる。日々のデボーションと聖日の礼拝が彼の労働をいかす。」(2)

私が役人の供応で苦しんでいた時、忙しい仕事に追い回されていた時、このような労働観が与えられたら、私は飛び上がって喜び、神を讃えたことだろう。私の周りで働く職場の同僚たち、働くことの無意味さに酒やマージャンなどに憂さを晴らしていた彼らに、聖書は労働についてこう言っていると話すことが出来ただろう。信仰と現実の問題がすべて解決できなくても、神に祈り、闘う勇気が出てきただろう。
 私は信仰と現実の問題、ひいてはキリスト教世界観を学ぶために、共立基督教研究所主催のお茶の水エクステンションに通った。一週間の会社の仕事が終わった金曜日の夜、私は嬉々としてエクステンションに通った。そして、1993年会社を退職すると同時に、共立基督教研究所に入学した。そこで、キリスト者の社会責任を謳った「ローザンヌ誓約」にも出会った。この誓約が宣言された1974年ごろ私は信仰と現実の問題で悪戦苦闘していた。当時この情報が、私のもとに届いていたらと悔しい思いがする。
 しかし、今になって分かったことは、イスラエルの民がエジプトを出て40年間荒野をさまよったように、私も40数年間のサラリーマン生活の中での主の訓練が必要だったのである。


(1)「受肉の信仰」隅谷三喜男(信教出版社、1982年、34~55ページ要約)
(2)「労働の倫理」唄野隆(新キリスト教辞典(いのちのことば社、1991年、1251~1253ページ要約)

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