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キリスト教世界観ネットワークと私

藤田 浩


 私は、幼い頃からクリスチャンである母の影響を受けて、教会の幼稚園に通い、小学生の時も日曜学校に通っていました。幼稚園のク リスマスの劇で福音史家を務め、日曜学校で賛美歌を歌ったことは、今でも楽しい思い出になっています。また、小学校高学年の時には合唱団でグレゴリオ聖歌 を歌うなど、キリスト教の教えと文化には、子供の頃から親しんでいました。高校の時には、合唱部に入部したことを契機に、キリスト教の音楽にはまりまし た。そして二十歳頃には、バッハの音楽に目覚め、聖書も読むようになり、ついにはせっかく入った大学を退学して、実家のある広島の音楽大学に入り直しまし た。そこはカトリック系の大学で、私は大学院に進み、宗教音楽学を専攻しました。キリスト教に興味と親近感を抱いていた私は、神父様について公教要理を学 びましたが、なぜか洗礼までは受ける気持ちになりませんでした。


 大学院を出て、仕事を始めてからも、キリスト教の音楽と教えには興味を持ち続け、東京で編集の仕事を始めてからも、聖書関連の仕 事に携わりました。仕事ですから、自分から進んで読まなかったような聖書の箇所にも目を通しますし、聖書の研究者や考古学者の方たちとのお付き合いも始ま り、聖書への興味が増すとともに、聖書の知識も深まったように思います。また、音楽活動でも、合唱団や歌曲研究グループの中でレクチャーをするため、あら ためて聖書を読む機会がありました。けれども、洗礼を受けることを決意するのに最も影響があったのは、誠実で温かなクリスチャンの方々との出逢いでした。


仕事がなく困窮の時に助けていただいた方、「神は見捨てない」と励ま してくださった方がいらっしゃいました。こうした出逢いがなければ、今日の私はありません。そうしたクリスチャンとの出逢いによって、キリスト教の教えの 中でも、何が大切で、何を信じればいいのか、何を学べばいいのか、私自身の視座が定まってきたように思えます。


 そうしたなかでも、「キリスト教的世界観ネットワーク」の存在を知ったことが決定的な意味を持ちました。ネットワークを主宰され ている島先克臣先生とは、5年ほど前でしたか、聖書の仕事を通して知り合いました。仕事が終わっても、関わったスタッフがしばしば集まるなど、個人的な交 流が続き、時々ですが信仰の話もしていました。その時から、私の心の中ではなぜか、「洗礼を受けるとすれば島先さんだろうな」という気持ちがありました。


ある時、「キリスト教世界観ネットワーク」のウエブサイトをふとした ことで見つけ出し、会の催しがあることを知り、すぐに島先先生に連絡を取り、参加しました。なぜ、このネットワークに惹かれたのか。それは、「創造の回 復」という教えに他なりません。私はここ数年の自分の困難な状況に、時には打ちひしがれたり、あるいは他人をねたんだり、社会を呪ったりしていたと思いま す。けれども、心の奥底では救いを求めていましたし、世の中の役に立ちたいとも思っていました。けれども、私は自分がとことん無力であることも知っていま した。それで、苦しみや怒り、悲しみや救いを求める心などでがんじがらめになっていました。また、聖書を読んでいくらかの知識があることで、高慢になって いたかもしれません。そうしたかたくなな心に「創造の回復」という教えが、染み入っていったのです。


 私は長年、聖書を読んできましたが、それは自分の音楽研究に役立つ知識にするためだったように思います。自分が救いを求めている にもかかわらず、そして聖書が救いを語っているにもかかわらず、さらには、心の奥底では自分がイエス様に呼ばれていると感じていたにもかかわらず、信仰の 道に入ることには躊躇があったのです。それは、ひとえに、イエス様が創造を回復されるという福音が分かっていなかったから、実感できなかったからだと思い ます。


しかし、ネットワークの催しで、講師の先生の言葉を聞き、またウエブ サイトの文章を読み、そこに掲載されていた本を買って読んでいるうちに、キリスト教的世界観を持つことが、この私にとって、単に音楽研究の助けとなるとい うのではなく、自分の人生を変えることになると思えてきたのです。そして、洗礼を受けることの決め手になったのが、ゴヒーン先生の講演でした。講演で話さ れたことは、知識ではなく、恵みの言葉として、私には聞こえました。そして、喜びの心に満たされて帰路を急いだのでした。そして、翌日、洗礼を授けていた だきたいと島先先生に電話をかけました。


その後、生活の忙しさから教会や会の催しに顔を出すことができないで います。助けていただいた皆さんに直接お礼を申し上げることができないのは心苦しいことでもあります。でも、いつか自分も困苦にある隣人に手を差し伸べら れるようになりたいと日々を過ごしております。それが、私にとりまして、「創造の回復」にあずからせていただくことだと、今、思い直しながら、この文章を 書きました。私は子供の時から、イエス様に呼ばれていて、その声に応えるために、その力をつけるために、「今」があるのだと思います。


キリスト教世界観ネットワークの皆様、どうぞこれからもよろしくお願 いいたします。会のさらなる発展と皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

2010年2月26日

 

 

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